お釈迦になる

「お釈迦になる」という表現は「死」=「仏」という連想を茶化す洒落となっている。とても趣きある表現である。言霊パワーを感じざるを得ない。
と思っていたら
日本語大辞典には

地蔵や阿弥陀の像を造るつもりでいたところが、誤って、釈迦像を鋳てしまったことからという

wikipediaによると

失敗して物をダメにする事を「おしゃかになる」と表現するが、ダメになった=死=仏=お釈迦、という語源ではなく、実際は江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍ってダメにしてしまった金物に対して、江戸っ子訛りで「しがつよかった(火が強かった)」=「四月八日だ」=釈迦の誕生日、というつながりで成立したとされる。しかしながら、仏滅でもない日にそのように言われるのは、釈迦にとっても縁起でもない話である。

ということで諸説あるらしい。でも「死=仏=お釈迦」というイメージは狙っているというのは推察できる。

ニーチェも「神がお釈迦になった」と表現すれば面白かっただろうに…。